4/11/2013

新・ブラームスはお好き?



兄は1番、私は23番、そしてガールフレンドは4番を各々愛した。
ブラームスのシンフォニーの話だ。

私がParisMünchenに滞在したのは40年前、所謂巨匠の時代の幕が下りつつあった時だ。ピアノ、バイオリンそして指揮者など大物の生演奏に触れて心は弾んだ。時にはそんな人達と直接会って会話をもった事もある。夢のような話だ。

その頃私は、物故の巨匠達は一体どんな音とスタイルで音楽を創っていたのかという素朴な疑問が湧いた。そんな時、たまたまParisの名門のお宅に招待され、そこで192030年代の沢山のSPレコードに出会った。これは生演奏をダイレクトにあの硬いレコード盤に刻みこんだものだ。しかし当時の再生機では音は半分も出ていない。

たまたまクラシック好きの電気技師がこれを見て15年近くの歳月をかけてイコライザーアンプを完成させ、倍音装置付きのスピーカーシステムと一緒に実音を限界まで追求した。諸外国の関係資料の検討と実験を何十回も繰り返し、再生機は完成した。レコードも1万点収集した。上海美術館、ブリヂストン美術館などで行ったSPコンサートは高い評価を受け成功した。

これらの演奏から感じるのは、優れた芸術は、高度な技術と湧き上がるPassionによって支えられているという事だ。

私はいま、クライスラーの弾くBRAHMSV.C.を耳にしながらこの文章を書いているが、優れた芸術表現というものはそれ以上に"Borderless"
であるという事なのだ。






       ©いとう ひろおみ黴の生えた腐った鍋料理をさらに煮込んだ図屏

2/04/2011

久し振りのブログ



北京中央美術学院美術館 安斎重男個展にて
左から3番目の男性:フージエ 
中央水玉の女性:シャオシャオラン(上海美術館 学芸員主任)
©ANZAÏ




極寒の北京で年の暮れまで仕事(モダニズム期の音楽会)をして、過分のお金を得て帰国。中国の芸術史に欠如しているモダニズムに対して彼等の示す関心は高いのだ。また最近、友人のM氏が北京の胡同にフォトギャラリーを開設したと云うので、そこを訪問する。かくもミステリアスな場所で日本の若手写真家の作品を見るというのも洒落ている。次の日は、北京郊外の奥に移転の始まった芸術村に数人の画家を訪ねる。バスケットボールの試合が充分に出来る広大なアトリエが1階と2階にある。ここの画家のプライベートカーはキャデラック、それがこの殺伐とした広大な芸術地区を走る風景は或る意味ではとてもドラマティックである。この画家の作品以上に!!今回はその中のフージエという若手の作品を購入する。彼は韓国の名門画廊(珍画廊)で個展が決まったというので、その励ましの意味も込めて。

帰国して最初に食指を動かしたのがナディフでの " 写真分離派宣言 " のディスクールだった。鷹野隆大、松江泰治、鈴木理策、3名の作家と知人である2名の評論家の名前を連ねていたからである。私が参加したのは鷹野と松江のディスクール。ご存知のとおり彼等は才能に恵まれた人達だが、今回の対話ではそのコンテクストの組み立て方の浅さや粗雑さが気になった。有能な2名のクリティカがバックアップしているのにどうした事か?いま世界はもっと対立と連立を目指して大きく羽ばたく映像を希求していると思うのだが・・・。展示作品は、鷹野は伝統的イデーから転換された裸像を、松江はかつて生産され続けた純粋結晶体に少々リップサービスを加えたカラー作品だった。決して悪くはないのだが大いに物足りなかった。

一昨日は、参加作家の1人から招待されて昭和会(油彩画)の最終日を見に行った。殆どの展示作品は、繊細なタッチと工夫した色彩感で構成された、所謂写実派であった。上手だとは思うのだが会場となっている銀座の老舗画廊の地下で旧友の店員からこっそり見せてもらった日本の古典作品(例えば、満谷国四郎)の力強さ、生への限りなき肯定、そして情熱的な作品に比べると寂しい感がした。

昨日は、芸大の卒展を見に行く。平面作品(油彩、日本画)をじっくり観る。端正な技法と繊細で巧みな筆づかい、自由でストレートなパーソナリティーの展開等については敬意を払うが、彼等の中には少しも「時代の危機感」が見て取れない。

危機感こそ芸術の生命なりと思うのは僕だけだろうか?




 

8/13/2010

何故、1930 SP原盤か(原盤宝庫)

今回、TANGRAM GALLERYでOpeningの日とその翌日に開催されるSPレコードのコンサートには以下の特色がある。

1.1930年クラシック音楽が最高に輝いた時代である。
2.その原音を忠実に再生出来るのは現在の段階で我々の開発したイコライザーアンプと倍音スピーカーだけである。
3.ピアノ、ヴァイオリン、声楽、指揮者、オーケストラ全てが最高の音質で聞く事が出来る。


とにかく信じがたい程の美しい原音と秀れた演奏が我々の耳に、否、身全体におそいかかって来ます。かつて、体験した事のない感動が皆様を包み込むでしょう。
全てが、不世出の天才による特別秀れた演奏がプログラムを飾ります。
ギーゼキングの真珠をころがした様なピアニズム、クライスラーの良い時代のウィーンの音、ワグナーやシューベルトを歌う類い稀なる声音家の調べ、など会場は未体験の芸術感動のるつぼと化するでしょう。





Furtwangler in Conducting Beethoven Nr.5








4/08/2010

「マネとモダン・パリ」三菱一号館美術館


 4月6日にオープンした三菱美術館(丸の内)でマネ展を観る。
 刺激的だ。

 1830年の7月革命と同期に誕生したマネの人生は半世紀間ではあるが、ドラマチックなもので、凡庸な印象派の画家とは異なっていたこともよく解った。

 彼の常用する‘黒’が、スペインの画家ベラスケスに対するオマージュであった事も面白い。氏の戦場も印象派展でなく、サロンである。相当自信があったに違いない!

 氏の生きた時代、オスマン計画も示す様に古いParisの都がドラステックに近代化(モデルニテ)された時代だ。強固な主語(マネ)と目的語(作品)、形容詞や副詞は限りなくブリリアントであり、霊感にさえ満ちている。

 私達のいまいるポストポストモダンとは全てが反対だ。
                 
"エドアール・マネ"(部分)
アルフォンス・ルグロ 作

4/06/2010

芸術に於けるコンセプトそしてグローバリゼーション

 私はJR中央線で国立駅から東京駅までが通勤経路だ。いつも1号車の先端の所に陣取って疾走する電車のフロントから左右にとび去る風景を見るのが愉しい。

 今日(4月7日)も、いつもの様に次々と通過する駅をフロントウィンドーからながめていた時、〝これこそコンセプトアートだ〟と直感した。左右周辺の雑多な風景を意識しながらも、集中するのは眼前に現れるレールだけ。個々の物事や出来事間の違いを省き、目に飛び込んで来るレールと信号に神経を集中させる。河原温の Date Painting や Gerhard Richter のPhoto Painting〝階段を下りる裸婦〟が脳裏に浮んだ。

 同時に私が思ったのは、こんな概念芸術 Concept Art が生まれるのは、一神教(Christ)の文化の産物ではなかろうか、という事だった。1点から自分の位置が遠近法に測れるのだ。日本の様な神々が大勢いる国ではこれは成立しない。


 もうひとつの問題は、芸術のグローバル化という問題である。私的な事で恐縮だが、私は中国で、約13年間作品の収集と企画に関係している。元来アートというもの自体、国境や国籍を超越して成立していると思っているが最近これとは反対に、Locality を強調する企画展が目立つようになった。話は飛躍するが、フランスの代表的写真家 H. Cartier=Bresson の作品でもフランス(又はヨーロッパ)でシャッターを切ったものは実に見事だというものが多いが、氏が中東や日本で撮ったものは、前者の作品と比較すると輝きが弱い。風土と作家の関係、それは自分のような凡人ではとても言葉でつづれないがそこには何か在る。モダニズムという芸術史を持たなかった中国(政治的動乱)や韓国(日本の植民地支配)では、その開放や戦後に芸術表現の自由が一気に誕生すると、若手作家は欧米の作風を形だけ借りて身につけようとするか、又は、反対にその土着性を強調するかに分かれていく。


 しかしこんな混沌と混乱が彼等の作品を面白くしているから、芸術は皮肉だ。オリーブの下に芸術はないという事か。最近、日本ではコンテンポラリー・アートフェア2会場に足を運んだけれど、私が感じた事は、日本の若手アーティスト達は、中国や印度の作家に比べて、決定的にエネルギーが不足しているという事だった。若い人達の作品があれ程まで内向的というのも気になった。

3/24/2010

古い洋楽レコード(SP盤1930年前後)のドイツ文化会館でのコンサートについて。


先日、友人の依頼を受けてゲーテ・インスティトゥートでのクラッシックSPレコードを聞く会をもった。友人グループがSPやLPに対応出来る高性能の再生システムを完成し、その一番バッターとして1930年頃のシンフォニーを鳴らす事になった。

フルトヴェングラー、カール・ベーム、レオ・ブレッヒ、カラヤン、そしてメンゲルベルグといった大指揮者の他に、ショパンを最も耽美的に演奏したA.コルトーなど。これらはドイツ国家主義体制(NAZIS)の下での演奏回数の多い音楽家達だ。
10年程前、ケルンでワーグナーやフルトヴェングラーのレコードを捜していたら、知人から“君はネオナチではないよね?”と2〜3名からいわれた。日本と異なり、あの大戦について総括したこのドイツだから、こんな言葉が出てくるのだ。
この点、日本は今でもNothingである。そしてこの国の政党政治は歩みが極めて遅く、世界の動向に関し殆ど鈍感である。

話をもとに戻そう。上述のSPレコードの演奏はいずれも秀逸であった。NAZISは芸術家を巧みにプロパガンダに使ったのだろう。謹厳居士のカール・ベームさえハーケンクロイツやヨーゼフ・ゲッべルスの目の前でワーグナーを振っていたのだ。当局が利用した音楽はワーグナーとベートーヴェン(第九)が多い。

当日のSPプログラムでは、フルトヴェングラー指揮のオベロン序曲(ウェーバー作曲、ウィーンフィル)が白眉であった。ベームのブルックナーNo.6(ドレスデン国立歌劇場)はそれに続いた。これらは秀逸で美しい演奏だ。

政治と芸術、日本では所謂 “戦争絵画” の問題があるが、その事についても充分語られる事なく、時代は新しいstageに入っている。



NAZISとの関係で審判を受けた2人の音楽家
A.コルトーとW.フルトヴェングラー ca.1945 Paris

2/17/2010

上海の夜景

旧いホテル、和平飯店の屋上レストランで食事を取りながら見渡すバント周辺の夜景、1930年代から東洋のメガロポリスであったこの地区の威容ある光景は夜になると事さら輝きを増し、Bestだと思っていた。しかしつい先日、上海美術館で日野之彦展の春節オープニングを終え、アーティスト諸君を囲んでマリオット39階の夕食のテーブルについた時に窓から見下ろした最新の上海夜景。霧で頭の部分が隠れた前衛的な高層ビルや、そのはるか下に展開するブルーのイルミネーションで光る高速道路とメダカの様に行き交う自動車群。1日の労働の疲れを取り去ってくれるこの幻想的な夜景。

東京はアッという間に追い抜かれてしまった。

それにしても上海中の美術館が春節のしょっぱなから一斉に個性的な企画展を始めている事も驚きをもって脱帽。



上海美術館での日野之彦展 2月9日         石水美冬撮影